野麦峠

四万温泉からおよそ180Km

映画「ああ野麦峠」
監督 山本薩夫
主演 大竹しのぶ
新日本映画・東宝配給
1979年(昭54)
 原作『あゝ野麦峠』は、昭和43年(1968)朝日新聞社から出された山本茂実のルポルタ−ジュで、この石像のモデルとなっている、政井みねさんを背負ってこの峠まで五日間かけて登ってきた、兄辰次郎さんから聞いたものだそうです
明治から大正にかけて、外貨を稼ぐ手だては、生糸でした。養蚕が日本を支えていた時代、その陰では10代、20代のうら若き製糸工女たちの悲惨な生活がありました。
諏訪地方には豊富な水のおかげもあり、製糸工場が集中していました。周辺農村部から集められた工女たちは、休みもほとんどなく過酷な労働に従事しました。
飛騨地方の娘達は、高山で工場毎の集団を作り、美女峠から、朝日村か高根村で1泊、難所野麦峠(標高1672m)を越えて信州に入り、奈川村の宿に泊まり、安曇村又は波田町に泊まって、塩尻峠を越え諏訪地方に、3泊4日程かけ徒歩で至りました。
昭和9年、高山線が開通しこの旅も姿を消しました

峠はクマザサに覆われています
昔クマザサの実を食料にしたりしていました
クマザサのことを、野麦と言っていたようです

政井みねの碑
病におかされ兄辰次郎さんに背負われここまで来て「ああ飛騨が見える」と言いながら、この峠で亡くなったみねさんの碑
『ああ野麦峠』の映画化は日活の企画が先でしたが、その企画は流れ、主演予定だった吉永早百合がその記念にとこの碑の資金を贈り、建てられたものだそうです(昭和四十五年五月)


この日は、みねさんが見た乗鞍は雲の中でした


復元された峠のおたすけ小屋


野麦街道は、冬凍死する者が出るほどの難所でした。
旅人の安全を願い水嶋藤佐衛門が文政年間に石室をここに造りました。
水害で流されていましたが、昭和62年に奈川村が復元しました。
この先から道はいよいよ険しくなっていきます


その昔、多くの人々が行き来した旧野麦街道
石が敷き詰められています
現在奈川村によって、ここから峠までの1300Mが保存されています

この難所で尊い命をおとされた方々のご冥福をお祈りいたします

さて次なるぶらり旅はどこへ・・